作家名 | 富岡鉄斎の掛軸(紙本 肉筆 墨彩画 二重箱) |
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作品名 | |
買取品目 | 掛軸 |
買取方法 | 出張買取 |
ご依頼地域 | 群馬県高崎市 |
買取参考価格
100,000円
※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
お客様の声
蔵の大掃除で整理していると、父が趣味で集めていた掛軸や茶道具が見つかりました。
どうせ安いものだろうというはありましたが、箱に入っておりひょっとしたらという思いで査定してもらいました。
ひょんなことでお宝が見つかって嬉しい限りです。
ありがとうございました。また利用させていただきます。
五宝堂スタッフより
本日は群馬県高崎市へ出張買取。
遺品整理にともないお声かけいただきました。京都への旅行がご趣味だった故人様が収集されておられました掛軸や茶道具が多数ございましたので、しっかりと査定させていただき、お客様にご満足いただける金額にてすべて買受させていただきました。
ご家庭で大切に保管されている掛軸、代々譲り受けてきた書画などはございませんか?
「五宝堂」では、人物画・山水画・花鳥画・書画・水墨画などお客様が大事にされてきた掛け軸を幅広く対応させていただきます。
掛け軸の査定経験と専門知識が豊富な査定士の確かな目利きで鑑定いたします。査定は無料でございますので、まずはお気軽にお問い合わせください。スタッフ一同、心よりお待ち申し上げます。
本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。
富岡鉄斎(とみおかてっさい)1837~1924
字を無倦、号を鉄斎。別号に鉄人、鉄史、鉄崖など。
1837 京都(三条通新町東)法衣商十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として生まれる
1855 女流歌人 大田垣蓮月尼に預けられ薫陶を受ける
1861 長崎に遊学し、長崎南画派の祖門鉄翁、木下逸雲らの指導を受けた
1862 山中静逸(信天翁)と出会いをきっかけに、画業で生計を立て始めた。
1874 アイヌの風俗を題材にした代表作「旧蝦夷風俗図」を描いている
1881 兄 伝兵衛の死に伴い京都薬屋町に転居し、終の住処とする
1869 私塾立命館で教員になる
1893~1904 京都市美術学校で教員に就任し、修身を教える
1924 大晦日、持病であった胆石症が悪化。京都の自宅にて死去。享年90。
日本最後の文人と呼ばれ、近代日本を代表する文人画家である富岡鉄斎は、89年に及ぶ生涯の大半を京都で過ごし、豊かな学識と古への敬慕のもと、多彩な書画作品を生み出しました。文人画の源流である中国の文人画家達がそうであったように、鉄斎も画作はあくまで余技とみなし、過去の画家達に敬意を向けながら、ダイナミックな筆と奔放な色づかいによって、新たな文人画様式を大成させました。
一方、明治以降の日本では、西洋からもたらされた洋画の技法などに刺激を受けつつ、横山大観(1868~1958)や菱田春草(1874~1911)といった画家達が、日本ならではの絵画表現を懸命に模索し、新しい日本画を成立させました。文人画家であった鉄斎もこうした動向に無関係ではなく、京都市美術学校(現・京都市立芸術大学)で教鞭をとるなど、次代を担う画家達の育成に少なからず貢献しました。