本日は、東京都杉並区高円寺南へ出張買取。
お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。
本日お売りいただきましたのは、二玄社の書道手本、書跡名品叢刊 全208冊で、保管状態も良く、全巻揃いでしたので、精一杯の金額にてご対応させていただきました。
また、書道家のみなさまにはお馴染みの二玄社や呉昌碩の工芸掛軸がたくさんございましたので、1点1点丁寧に対応し、お客様にご満足いただける金額にてすべてお譲りいただきました。
二玄社の工芸掛軸の現物は、中国国立故宮博物館に所蔵されております。
二玄社の書道手本や工芸掛軸は、他に比べて大変手間がかかっており、書籍の中では高額なジャンルに入ります。それだけ多くの手間をかけて制作された二玄社の書籍は書道家、書道愛好家たちにとって垂涎の作品でもあります。
五宝堂では、二玄社の書籍をはじめ、日本書道・中国書道に関する専門書、書道技法書、有名書家の作品集・手本帖などのご依頼を特に歓迎しております。書籍だけではなく、唐墨(どうぼく、からすみ)、和墨(わぼく)、硯などの書道具、煎茶道具、和楽器、人間国宝作品などの骨董品や美術品など、幅広く対応させていただきます。
査定は無料でございますので、まずはお気軽にお問い合わせください。スタッフ一同、心よりお待ち申し上げます。
本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。
呉昌碩 ごしょうせき(中国作家)
1844〜1927年
朝末期から近現代に活躍した中国画家、篆刻家。
曽祖父、祖父、伯父、父が郷試に及第して挙人となる家系に生まれる。
幼少の頃、父から篆刻を学んだ。この頃から才能を発揮していたと言われている。
17歳の時、太平天国の乱が起き、戦火を逃れるため避難生活を余儀なくされ、湖北省や安徽省などを5年間彷徨うことになる。
学問にも精を出し、清い清朝官僚になる。
29歳のとき、杭州や蘇州、上海などに遊学。
蘇州では師友の楊峴に就いて書の研鑽に励んだ。
結婚後、上海にて棲み、書や篆刻を売って生計を立てる。
日清戦争後、50歳を過ぎ初めて本格的に画を学ぶ。
この頃から上海の富裕層が呉昌碩の画を評価するようにな
それに併せて書や篆刻の値段も上がるようになる。
1927年、84歳にて沒。