作家名 | |
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作品名 | 骨董品・茶道具(即中斎書付 オールドバカラ ギヤマン 四方水指)・琴・三味線など |
買取品目 | 茶道具 |
買取方法 | 出張買取 |
ご依頼地域 | 千葉県市川市 |
買取参考価格
500,000円
※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
五宝堂スタッフより
こんにちは。和楽器・骨董品・古美術品買取専門店の五宝堂でございます。
本日は茶道稽古場のお片付け整理のご依頼で、千葉県市川市へ出張しました。表千家の茶道具を中心に琴や三味線などもありましたので、1点1点丁寧に拝見させていただき、お客様にご満足いただける金額にてお譲りいただきました。
五宝堂では、お稽古始めの茶道具からお茶会用の茶道具まで多数取り扱っております。
茶道具の整理や譲り受けて価値が知りたいなど、いろんなご相談に対応しております。
茶道具のご売却をお考えでしたらぜひ五宝堂をご用命ください。
時代物の1点物からお稽古道具まで幅広くお取り扱いしております。
現在、五宝堂では千葉県(市川市、浦安市、習志野市、印西市、白井市)への出張を強化しております。
大量にあってもお任せ下さい。
蔵の整理、遺品整理などの際には喜んでお伺いいたします。
現地に無料でお伺いしてご対応致します。
本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。
【ギヤマンについて】
ギヤマンとは、もともと江戸時代にダイヤモンドを称して使用していた言葉です。
そして、ガラスの細工にダイヤモンドを用いていたことから、ガラス製品全般を指す言葉になっていったようです。
ギヤマンというこの聞き慣れない言葉の語源は、オランダ語diamantの訛りとも、ポルトガル語diamanteの訛りともいわれていますが、どちらもダイヤモンドを意味する言葉。
主に、江戸時代にオランダとの交易によりもたらされたカットガラスがギヤマンといわれています。
日本でもカットガラスが作られ始め「江戸切子」や「薩摩切子」へと発展していきます。これらの日本の切子もギヤマンと呼ばれるようになっていきました。
【表千家について】
表千家とは、千利休を祖とする茶道流派です。
同じ三千家に数えられる裏千家は、分家であり、表千家の不審庵がある通りの裏にあることから、裏千家と呼ばれます。また、三千家の1つ、武者小路千家は、京都市上京区武者小路通りにあることが由来です。
戦後、茶道の普及活動に最も早く対応した裏千家は、学校のクラブ活動で茶道を導入するなど、一般的に広く知られている流派と言えます。裏千家の茶室は、今日庵(こんにちあん)と呼ばれ、京都市上京区小川寺之内上ルにあります。
武者小路千家は、千利休の孫・宗旦の四男が興し、表千家の分家という立ち位置です。茶室は官休庵(かんきゅうあん)で、表千家と同様に、財団法人になっています。
【即中斎について】
1901年(明治34年)-1979年(昭和54年)
茶道家元・表千家の十三代。斎号は、即中斎・無尽・清友軒。
十三代目即中斎は、1901年に京都府で生まれました。表千家十二代・惺斎宗左(せいさい そうさ)の次男で、幼名を覚二郎と言いました。
慶応義塾大学文学部、京都帝国大学(現在の京都大学)史学専攻科を卒業。表千家千宗佐を継ぐのは即中斎の兄であったが、1936年に兄が急逝してしまいます。翌年の1937年、父・惺斎宗左の死去により、即中斎が、表千家十三代家元・千宗佐を襲名しました。
しかし、1941年に第二次世界大戦が開戦すると、茶道どころではなくなり、活動も乏しくなります。即中斎は、戦争のさなかでも、茶道が閉ざされぬよう尽力しました。
そして1949年、不審庵を財団法人として設立します。戦後に茶道の普及に努めた裏千家に続く形で、茶道の大衆化を図りました。即中斎による表千家の組織化により、現代社会に茶道文化を合わせ、茶道がより一般に広まったのです。