



作家名 | 川瀬巴水 土屋光悦 |
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作品名 | 「日本名所図会」全28図 純手摺木版画 浜松堂 大江戸木版社 |
買取品目 | |
買取方法 | 出張買取 |
ご依頼地域 | 東京都豊島区 |
買取参考価格
200,000円
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五宝堂スタッフより
【この作品について】
巴水・光逸 日本名所図会 伝統芸術・純手摺木版画 全28枚は昭和時代の浮世絵師・版画家である川瀬巴水と土屋光逸が制作した風景木版画集です。全28作品のうち5作品を川瀬巴水、残りの23作品を土屋光逸が手がけています。
川瀬巴水と土屋光逸はともに、大正・昭和時代の新版画(浮世絵の近代化・復興を目指して制作された木版画)の代表的版元として知られる渡辺版画店の渡辺庄三郎に勧められて木版画の制作を始め、東京を中心に日本各地の風景画を新版画で制作しました。
【川瀬巴水(かわせ はすい)について】
川瀬巴水は新版画を確立した人物として知られる近代風景版画の第一人者です。
明治16年(1883)に東京で生まれ、14歳のときに川端玉章の門下生である青柳墨川から、19歳のときに南画家である荒木寛友のもとで日本画を学びました。その後一度は洋画を学びますが馴染めず日本画へ戻り、明治43年(1910)に鏑木清方に入門しました。「巴水」という画号は約2年の修行を経たのちに鏑木清方から与えられています。
日本画家となってからは師匠である鏑木清方が得意とした美人画のほか風景画や風俗画などの肉筆絵を制作しました。しかし次第に行き詰まりを感じ始め、大正7年(1918)に伊東深水の木版画「近江八景」に感銘を受けたことをきっかけに版画制作に興味を持つようになります。
当時の浮世絵版画は衰退の一途を辿っていましたが、渡辺版画店が浮世絵の復興として新版画の刊行に力を入れており、川瀬巴水も「塩原三部作」と称される作品を渡辺版画店より刊行して木版画デビューを果たしました。これが好評だったことから渡辺版画店の渡辺庄三郎は川瀬巴水に新版画の風景画を委ね、巴水は夜や雪を題材とした風景版画を制作するようになります。日本各地を旅行した際には旅先で写生を行っており、それらを原画とした版画作品を数多く発表しました。
【土屋光逸(つちや こういつ)について】
土屋光逸は明治時代から昭和時代にかけて活動した、小林清親の門人です。
明治3年(1870)に静岡県の農家に生まれた土屋光逸は14歳のときに上京して判子屋の弟子になりますが絵描きになることを切望し、16歳のときに小林清親に入門します。門人のなかでも最年少だったことから小林家において家族同然の扱いを受け、以後20年近く内弟子として小林清親を傍で支えることになります。
作品を発表するようになったのは明治28年(1895)頃で、「光逸」という雅号は小林清親から授けられました。内弟子としての期間の長さと作品数の少なさは、小林家の家事や大工仕事、渉外といった役割を担っていたためと言われています。なお、そうした秘書役をしながらも師である小林清親の作品や石版画について学びました。
病により石版画家の道は諦めることになり、関東大震災後は中国輸出用の絹本軸装画を描いて生計を立てることになりますが、昭和6年(1931)に開催された「小林清親翁十七回忌記念展覧会」において渡辺庄三郎と出会い、新版画を描くことを勧められます。当時の土屋光逸はすでに60歳を超えていましたが、師である小林清親と同等レベルの風景版画を制作しました。
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本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。