この作品について
備前焼の茶碗、水指などの茶道具、箏、津軽三味線などの和楽器が多数ございましたので、1点1点、丁寧に査定させていただき、お客様にご満足いただける金額にてすべてお譲りいただきました。
本日お売りいただきましたのは、備前焼作家の藤原雄(ふじわら ゆう)の作品。
藤原 雄(1932年6月10日 – 2001年10月29日)は日本の陶芸家で1996年に人間国宝に認定。
岡山県備前市(当時の和気郡伊里村)穂浪出身。藤原啓、勝代の長男として生まれ、視力が右目は0.03、左目は全く無いというハンディの持ち主であったが、健常者同様に進学する事に父親はこだわり続けたという。青年時代は文学や音楽に熱中していたという。
備前焼の伝統を重んじながらも、新しい感性に溢れた作品作りを追求。「焼き締め陶公募展」を開催し実行委員長を務め、後進の発掘と育成にも力を注いだ。
息子は同じく陶芸家であり陶心会会長・備前陶友会理事を務める藤原和である。
備前焼の歴史
備前焼の歴史は古くその発祥は平安時代の末期までさかのぼります。
伊部周辺を中心に現在まで800年以上ずっと続く産地でいわゆる中世六古窯(陶磁学者 小山富士夫による命名)の一つとして挙げられます。
ほかの5窯とは異なり、岡山県東部 邑久(おく)地方の須恵器窯の系譜を引いています。
骨董でよく聞かれる古備前は平安時代末期から江戸時代初期までのものを指します。
室町期には備前六姓(びぜんろくせい)が製作を仕切ります。
備前六姓とは室町時代末に始まる備前三大窯(南・北・西)の共同経営者であり陶工の家柄です。
金重・森・木村・大饗(おおあえ)・寺見・頓宮(とんぐう)を指します。
それぞれが窯印を持っていました。
現在では六姓のうち陶業に携わるのは金重・森・木村・大饗の四家を残すだけです。
昭和に入ると金重陶陽(かねしげ とうよう)が桃山時代の古備前の再現を目指します。
金重陶陽は後に備前焼ではじめての人間国宝になる人物で、古備前の再現と研究指導など数々の功績を残します。
金重陶陽の活躍によって備前焼はより広く認知されるようになりました。
備前焼は越前焼(福井県越前町)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)とともに、
日本六古窯として日本遺産に認定されております。
主な作家
人間国宝
重要無形文化財「備前焼」の保持者(人間国宝)
岡山県指定重要無形文化財
人気作家
五宝堂では人間国宝陶芸作品の買取を強化しております。また、茶道具、煎茶道具、書道具、尺八、篠笛、龍笛、琵琶、三味線、琴、小鼓など和楽器、骨董品、美術品など、幅広く査定・買取させていただきます。
査定は無料でございますので、まずはお気軽にお問い合わせください。スタッフ一同、心よりお待ち申し上げます。
大量にあってもお任せ下さい。蔵の整理、遺品整理などの際には喜んでお伺いいたします。現地に無料でお伺いしてご対応致します。
本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。
藤原雄(ふじわら ゆう)
1951年、明治大学 文学部 日本文学科に進学。
1955年、みすず書房に就職。しかし同年9月に父親の看病の為に休職し帰郷。小山富士夫に備前焼を勧められ父に師事し技法を学びはじめる。
1957年、結婚。
1958年、日本伝統工芸展に初入選。長男・和、誕生。
1961年、日本工芸会より正会員に認定された。
1964年、アメリカ現代陶芸美術館やカナダのポイントクレーヤーでは海外初の個展を開催する。同年以降、アメリカ、カナダ、メキシコ、スペインの大学などで備前焼についての講義をたびたび行う。
1965年、棟方志功と共にアメリカ・ダートマス大学の客員教授を務める。以後国内外で多くの作品を発表しその評価が高まってゆく。後にメトロポリタン美術館や大英博物館にも作品が収蔵された。
1985年、紺綬褒章受章。
1988年、社団法人日本工芸会理事に就任。同年、日本人として初めて韓国国立現代美術館にて「備前一千年、そして今、藤原雄の世界展」を開催。
1991年、「焼き締め陶公募展」開催。実行委員長を務める。
1996年 5月10日、重要無形文化財「備前焼」保持者に認定。2代に亘っての人間国宝となった。
2001年 多臓器不全のため69歳で逝去。